『死者の謎掛け』#5 野蛮な証拠

スレブレニツァ−Wikipedia
「スレブレニツァ July 1995」の文字が時折、戦争未亡人らの手によって見られるわけですが、1995年7月13日、ボスニア内戦の最中、番組内で“ムスリム人”と呼ばれていた人種(アラブ系って取ればいいのかな、モスクって言ってたし)がセルビア系軍隊によって国連の管理下にあったスレブレニツァの街から約7千人連れ去られ。
多分、その日のうちに虐殺され。
セルビア系の地区のあちらこちらに別けられて埋められた、という事件。
なにが衝撃的って平和維持軍(PKO)の目の前、それどころか直接引き渡しがあったとしか思えないような展開をしていること。


とはいえ、6千人の軍隊に460人ほどのオランダ軍だとね。。。
一方的に責めていいのか私にはわかりません。少なくとも「虐殺」の被害者の中にはオランダ軍兵士も散見され、奪われた平和維持軍の制服が利用されることもあったようです。
そして、被害者の家族、残された幼児と女の人たちにも怒りは見られず。
せめて生死だけでもはっきりさせたいのだ、と言うばかり。なんというんだろう、訴えたいのは「忘れるな」ということだけなのかもしれないとまで思わせます。
一つ一つ証拠を洗うのも、どこまでが一つの遺体なのか判別の付けようのない状態の中、せめて服を取り出すのも、忘れないためだけなんでしょうか。
戦争犯罪として裁判に掛け、証拠から有罪に導き。
済んでしまっても「なかったこと」には出来ないと証明してるのかなぁ、と。