「カンボジア絹絣の世界−アンコールの森によみがえる村」森本喜久男

かなり読み進むまで私、この著者の方が男性だと気付かなかったのですが。
ええとまあ、生涯の後半生を“カンボジアの絹絣”に事実上捧げて来られたもと京都の織物師の方らしく、「絣」というのはそもそも布に模様をつける場合、糸を染めるのか布を染めるのか、という選択があるのですが糸の段階で糸に模様を付け。それを織り上げることで生じる模様のズレのようなものを風合いとして楽しむ布のこと。
日本にも幾つかの地方に伝わっていましてタイの織物としての紹介もされているのですが、どうもタイじゃなくてその周辺諸国の文化じゃないかなぁ、と思った森本さんは。
ひたすら古い布を捜し求めての結果的にフィールド・ワーク(民俗学の実地調査)を展開、ついに見つけた織物の道具の揃う村で村のおばあ様に教えて貰おうとしたら糸が良くない、ということでさらに養蚕業を求めに行ってしまい、しまいには天然染料の各種原料から糸の彩色に使うバナナの葉の繊維から、それらの工程のための森を作り、周辺の村々に原料の調達のための産業を頼み、そこで暮らす職人の子どものための学校を!
というところまで、ひたすら布とその文化を追い求めていただけ、というのがなんとも言えず素晴らしいと思います。本の中で「畑から一回収穫した時、一部をそこに残しておけばまた生えてくるのにな」と言ってらしたんですが、貴重な布を国外で高く売りさばくのではなく、その文化を残してその布の織り手を育成したほうがいいという姿勢は案外。
畑の収穫物を残すという自然な発想の流れでしかないのかもしれませんw


カンボジアは内戦のために20数年の空白期があり、その子どもたちはサバイバル能力ばっかり高くて自分たちで物を作り生きていく能力がないと森本さんは嘆くのですが。
だから逆に、近代化に逆らう底力が残っているかもと思っておられるのでしょうか。