「帝都ウィーンと列国会議」幅健志

“会議は踊る、されど進まず”というのはその当時、ウィーンですげぇ人気のあったじいちゃん将軍の言葉なんだそうですが、どうもこう「踊ってる」から「進まない」という意味ではないようで。というか実は会議の進まない理由はざくざくあり、せめて踊るくらいしかない、という状況だったんですが、すごく失礼というほどでもないかなと。
オーストリアは女帝マリア・テレジアの息子のフランツ帝時代、ちまちまとセコくて陰湿ですが、正直穏当と言ったら穏当。ロシアが同じく女帝エカテリーナの孫のアレクサンドル、軍人皇帝アレクサンドル時代(“ツァー”って愛称じゃなくて皇帝の意味かw)。プロイセンがフリードリヒ大王。鉄の宰相ビスマルクさんまで後ちょっと。
どれか一つくらいは聞いたことあるかな、と思って挙げてみたんですが。
イギリスはわかりません、すみません、概ね大国として扱われてるんですが、海峡挟んでるだけあって領土もいらねーし行動もなんかズレてるしで、オブザーバー? 事実上そうだった、という意味ではないんですが、実質本当にそんな感じ。


フランスがマリー・アントワネットの処刑から、ワンクッションを置いてナポレオンが登場し、もう追放され、この会議中に復活。会議が伸びに伸びまくっていて、ちょうど各国中枢が一緒だったもんで楽にことに当たれたようです、、、で、再度の敗北。すげぇ歴史の妙。
というかそもそも、ナポレオンがいなくなったあとのヨーロッパ再編の会議なんですね。
で、ナポレオン以降の新世代と旧世代がぎしぎしといがみ合っていた、て感じ。
ある意味で利害関係のある存在の数が多すぎ、会議としてまとまらなかったのも必然、この会議でなにかが変わり、次の時代がここで決まった、ということはないんですが。
歴史の一大縮図であることは間違いないようです、前置き長いですが面白かった。