『美の巨人たち』高村光雲「老猿」(日本)

高村光雲−Wikipedia
(1852.03/08−1934.10/10)


最高の腕といい根性を持つ(かなりいくつかの意味で)元仏師さんで。
明治の「廃仏毀釈」により仏像の需要が減り、食べていけないところまで追い詰められたので西洋美術でもなんでもやったらぁ! と一念発起とゆーかなんというか、むしろ西洋のデッサン力や良しと開き直ったというかなんというか。でも彫像はやらないで、彫りに拘っていたために息子(高村光太郎ー、すげぇ家族だな!)に馬鹿にされてもいたそーですが。
いや、彫像だといくらでもやり直し出来るってんですが。
そこはそれ、それぞれの良さがあると思うので馬鹿にすることでもないですよ。


んで、人間を彫るとどーも仏像の癖が出てしまうということで、練習のために動物を彫り始め、シカゴ万博にも出されました≪老猿≫は。
なんでも話によると双頭の鷹をモチーフにしていたロシア国旗のブースを睨み、手に鳥の羽を握っていたのだとか。えええ、意図してたのだとしたらいつから?!
と聞きたくなってしまうのですが(だって角度が!)。
なんか万博中その話題で持ちきりだったそーですよ、だよなー、いつから考えていたのかすげぇ聞いてみたいですよねぇ(そこではないのでは)。
しかも、時は日露戦争前ってんだからすごい偶然w
光太郎氏も次の時代に技術を残すことになったと晩年には褒めてるし、江戸の職人の面目躍如ってとこでしょーか。ところであの頑固者がって含みは気のせいでないよな?