『21世紀仏教への旅』3、幸福の王国をめざして・ブータン

“化身”というシステムを聞いて思い出すのはまあやっぱり、ダライ・ラマでしょーか、システムというか、、、うーん、システマチックかなぁ、とどうしても。
彼らの、ではなく仏教の「輪廻転生」はもともと目的がその輪廻から抜け出すこと。
今のようにもう一度、この世に戻って来れる、という奇妙に前向きな色を帯びたのは中国を通過した時点でなんですよね、ヤツらです。


チベット仏教というと、からんからんと一回廻すたびに経を読んだことになる、という道具。なかなか素晴らしいと思うんですが、風とか水車で廻るようになっているのをみるとさすがに「あー」と思わないでもないというか、いや、いいことなんですが。
今回田舎に行くと飾ってある経文がびっしり書かれた旗というのが紹介されていたのですが、確かタクシンだったかな? 期待に違わず、一度風にはためくと一度経を上げただけの価値があるそうです、それでなくちゃ。
韓国などのインテリが立ち止まり、心の拠り所を探すというのではなく。
生まれた時から身近にあり、死ぬまで側にある。
物質文明があることを肌で感じながら、しかし本当に自分たちのほうが幸せなのだと考えているように見えますし、うん、多分、皆そう考えるのではないでしょうか(とりあえず中国は除いとこうぜ)(をぃ)。
食うのに困ることもないし、家は先祖伝来のものがあるし。
そしてなにより仏教がある、そして僧侶は彼らにとって馴染みのある、自分の未来として極当り前のように考えることもある、親類家族が寺に行くこともある、というそんな存在です。彼らは口々に「また仏教徒になりたい」と言います、幸福だからなのでしょうね。