『民衆が語る中国・激動の時代−文化大革命を乗り越えて』3)下放・ 若者大移動

文化大革命−Wikipedia


番組内でも語られていた“批林批孔”、失脚した林彪と共に孔子を批判することによって、周恩来を遠回しに批判するのだ、というプロパガンダですが。
これは中国語読みでピーリンピークン(北京語の場合ね)、なんで知っているのかというとあちらの情報でそれを聞いているからですが、これは「周恩来といえば中道、中道といえば孔子だから」という説明がありましたが(この時点で大概)。
孔子が尊敬していたのが周の文王だったから、というのが私が聞いた内容。
中国人って歴史に詳しいんだなぁ、とその時は感心してました。
ええまあ、なに言ってんだ一体、とやっぱり当時の人も思ってたのか...orz


この回は“下放”、若者の政治闘争を一旦静める意味合いと。
失業対策を兼ねて農村に若者を強制的に振り分ける、という政治政策。
その無残な失敗と、成果が上がらないことによって周恩来さん(裏でちまちまちまちまちまちまちまずっと火消しやってるんだよ;)が自分の側近たちを呼び戻し、そのうちの一人、蠟小平が緩和政策を取り。
なんとかなんとか若者たちが戻ってこれることになった、というのが流れ。
農村行きにしても政策にしても、どうも頭で考えてるっつーか、思いつきみたいなことやってるから失敗するんでしょうが、それを認めることも出来ないんでしょうが。
それで10億人の国を動かすんだから無茶な話です。
この時期になると毛沢東が病み、彼の妻を含めた四人組が台頭してきます。