「ルビコン以後(下」ローマ人の物語13、塩野七生

私には正直、“カエサルの章”は「絶対正義のカエサルに逆らうわからず屋」をどう処理していったかの書き方をされていたようにしか読めなかったというか。
いやまあ、納得できる面も多いんですよね、キケロは確かに実行力と意思に欠けるし。
カエサルを殺した後の青年たちの無為無策っぷりは、リーダー格とされていた青年(この人は不憫ですよね、当人にその気が全くないのに生涯カエサルの愛人の息子扱い;)の母親に権力の掌握もしないのか、なんのために殺したんだ、と言われても仕方ないと思うんですけども、そういうのを越えて引っ掛かるところが少なくなかったんですよ。
中でも一番気になったのがカエサルと対立して敗れた文人・小カトー(大カトーは大っ嫌いですが、小は潔癖な無害さんだったと思う)が自害した時の批判の内容が「信念が本物ならば自分の家族を道連れにしたはずだ」。。。
私別に、贔屓は嫌いではないんですよ、特に暗殺された天才でヒューマニズムが相手で、もともと塩野さんが小説家としての立場を強調して書いている本でもありますし、でも、相手を貶める形での贔屓ってなんか違うと思っちゃうんですよね。


そういう意味では、この巻で唐突に現れた、カエサルに養子と後継者指名をされていたどうにもこうにも癖のある性格のオクタビアヌス関係のほうがずっと面白かった。
年老いたキケロを騙くらかし、もはや老衰の域にある元老院を煙に巻き。
対するアントニウスは恋に狂い、エジプトの女王クレオパトラの言うなりに。
彼女に「知性のある女だったかな?」と問うのも良かったんですよ、欠点は欠点でわかりますもん、むしろ、彼らは欠点こそが魅力的でした、カエサルを取り巻く世界のこともこう書いてくれれば良かったのに。そうしたら絶対カエサルも素敵だったのに。