『美の巨人たち』川合玉堂「早乙女」(日本)

川合玉堂−Wikipedia
(1873.11/24−1957.06/30)


母上が偶然知ってたんですが、というか、青梅のほうではちょっと名の知れた人のようで。なんでも彼の師匠筋の橋本雅邦氏の息子さん? だかお孫さんも知っているのだとか。学校の先生なんじゃなかったかな(母の関係というとその辺が多く)。
なんでも、名を得てからあれ、、多摩郡なのか。へー。
今の青梅市に疎開、まあ戦時中だったわけですが、そこで絵を書きながら土地の人と親しみ(なんかいっぱいビデオとか残ってますw)そこで田を植える若い女たち≪早乙女≫という作品を描きましたよと。


自然が頭の中に残っているようじゃ駄目だと、完全にものにしなくてはならないのだと、よく外におられたようですよ。特に夜明けの瞬間を好み、その時に生じる影と線の関係を見詰め続けたのだと。
上の人物もそうですが横山大観などの影響も受け。
けれど輪郭の線をぼかす方法は取らず、他の手段で己の光と影を表現しようとしたのだといいます。輪郭をぼかすっていうか、まあ、グラデーションというか陰影でもって物の形を表現するのでなく、波の線にも岩の線にも拘ったのだと。
だから光の変化を見詰め続けたんでしょうか。
その手法は人の営みを描く時にも、四季と、田植えならばその準備を、田を植えるに至るまでの連綿とした時間の流れをその中に閉じ込めている、とも言われるそうです。