「中央線誕生−甲武鉄道の開業に賭けた挑戦者たち」中村建治

ええと、今のJR中央線がどっからどこまでつながってるのか、というと正直なところよくわからないんですが(お隣の路線の沿線住人です)、新宿と八王子の間と、東京駅、、、ではなかったんですが、まあ新宿を中間点に東京を横断してますね。
んでこれ、もともとは甲武鉄道という私鉄の敷いた路線だったらしく。
この前にすでに存在していた日本鉄道の“品川線”はどっちかというと国策補助のある、半官半民の路線だったようなのですが、甲武鉄道は最初日本鉄道の支線として開業したものの、数年で独立、別に気は進まないけどやれるもんならやればいいんじゃない、ただし車両整備は非常時くらいしか手伝わないよ、という生温かい言葉と共に国に送り出されたそうなので、それはそれで別に間違ってはないけど、このあと結局国有化された経緯を考えるとやっぱり都合いいよなぁ、と思わないでもない。
もともと産業運送を目的として計画されて、紆余曲折(というか別の鉄道計画案との出願合戦)の末に馬車鉄道から蒸気機関車に変更され、その結果としてもとのルートからの反対にあって直線を描くルートとなった、という話なのですが。
個人的にこれが一番すっきりした説明なんじゃないかなぁ?
馬車鉄道ならともかく、蒸気機関車で甲州街道は鉄道忌避伝説っていうか普通に怖いw


この鉄道に関わった中心人物である二人が、片方が純粋と言っていい信念を、もう片割れが利益優先というスタイルから小さな衝突を繰り返すものの、最終的に逆にそれで補い合うように甲武鉄道を作りあげて、それぞれ他のたくさんの鉄道に関わったそうなのですが。
要するにそれってどっちも必要だったことなんでしょうね。
本当にもう、苦難の連続で、ライバル多くて、でも懲りなかったってことかなぁ。