『爆問学問』#23 伊勢崎賢治(平和構築学)

“平和は闘いだ”っちゅうかどうせなら私は、太田さんには「セクシー戦法」を考えて欲しかったような気もしないでもないんですが、しかしまあ、よく考えてみたら数ヶ月前から地域紛争の本を読んでいて、そっか、武装解除ってそんな心構えに大前提なのかー。
というふうなことを考える日本人てのが少数派な以上、仕方ない番組構成だったのか。
ちゅーか「いざって時にそれまでの道を踏み外してでも“正しい”ことが出来るかどうかだよね」という言葉は、なにも彼に投げ掛けるべきことじゃねぇだろ、日本人が大量虐殺の当人に会う時点で苦痛だろ、というふうに私は思ったんですが。
ああでも、ちゃんとわかってた上でああ言ってたのか。
考えてみれば私みたいに新書で読んでいるだけですでに本が本屋の棚に並び、この人の本だってすでに出ているってところを(新書で)考えると、こんな捻くれたシニカリスト(造語)が全く触れたことがないって考えるほうが不自然なことなのか。


しかしやっぱり、平和構築側のセクシー手法を考えて欲しかったな!
というのは捨てがたい実感です、「もうちょっとセクシーなら良いのになぁ」と思うんですよ、というぶっちゃけぶりはやっぱり苦労人としてときめくものがあったので。
えー、この人は、平和憲法“9条”を持つ(すでに固有名詞だと思う)、日本の名を振りかざして戦地に乗り込んで行っちゃあ、ごてごてしい国連・平和維持軍の武装の包囲の前にて紛争の両者にまず大丈夫だからと銃を下ろさせ、私軍を解体し、その軍人たちを社会復帰さすのだよ、というそんなことをやっていたそうですが。
もう嫌、と言うわけですよ、百万人殺した人を副大統領にするのが平和への道なので。
それは逃げだよね、と笑った言葉が一番の賛辞だと思います、太田さんの。