「日本の私鉄13 相模鉄道」カラーブックス・第1シリーズ、柴田重利

そもそも相模鉄道というのは本来神中鉄道として開業していた部分で、と言ったところであまり意味があるような気もしないのですが、なぜか両社大正6年に計画され、さらに大正10年に開業し厚木に到着したのも同年、という不思議な存在の路線が。
昭和16年に経営悪化した時点で当時の東横電鉄(後の東急)に相前後して株式の大量取得をされて、、、なんと表現すべきなんだろう、当時電化されていなかった神中鉄道を電化されて、両社合併の下準備が整ったそうです。
概ね似たような記述なんだけど、なにか途中が抜けている気がしてならない。
なんかまどろっこしいから一社になっちまえ! という気持ちはわかるけどもっ。
なぜ他社がそんなことするんだろう、いや、自分のところで使わなくなった諸々のリサイクル先なのだそうですが、そのために電化って、なんかおかしい。目的がそんななら、むしろ株式の大量購入って時点から破綻気味です、一貫して意味がわからない。


ええと、さらに合併して新・相模鉄道になった一年のち、元の相模鉄道部分が国有化されてしまい、残った元の神中鉄道であるその相模鉄道はさらに一年後に東急に経営委託されたそーです。俗に言う大東急なのですが、ああうん、前後の事情見てるとこれ他とは全然話が違うな、さすがに。
なんか自分で書いてて意味がわからなくなってきたんですが私が悪いんじゃない。
あと、どうも蒸気機関からディーゼルからマキから、自路線内での電圧の違いなどいろんな経験をしてるせいか、概ねなんでも自社でやってしまえるらしく、車両幅を最大にしたり一車両だけ改造しての実験だの、そもそも戦後には焼失車両の復興とかいろいろやっていたみたいです。うーん、ハングリー?