「世田谷・たまでん時代」宮脇俊三/宮田道一

玉電はえーと、路面電車である今の東急世田谷線(今の京王線との連絡のために作られた路線みたいですね、小田急の建築がきっかけだったのかww)、路面電車から地下鉄線へと転換された田園都市線(玉川線→新玉川線、双子玉川から橋を渡って溝ノ口までへの路線は東急大井町線に編入されました)。
戦後、昭和44年に廃線になった砂利採目的の単線の砧線。
砂利の受け渡しのために東京市電(→都電)との直通目的のために山手線の内側まで走っていた天現寺線、目黒線。先に玉電ビルのために分断され、戦時統制のために市電へと譲渡されて、さらに都電として廃線となった路線とで構成されていた路面電車の私鉄。
昭和11年くらいから今の東急へと買収されて身分は変わりましたが、今も路面電車で残る世田谷線の存在のせいか、高度経済成長期の昭和44年までは同じ形で残っていたせいか、だいぶ記憶にある人も多いんですね。
(ただ、玉電って聞くと「東急玉川線」のことだと思っておられる方ってのもぽちぽち、それ以前からの玉川電気鉄道の愛称なんだけどねw)


ただ、平成6年の本で「玉電」時代の社員の方が残っていたというのはすごいなぁ、としか言い様がないんですが、座談会自体の年代が書いてなくてよくわからないww
さすがに昭和9年くらいに東横からの買収ですしね、えええ、お幾つですか。
あとどうも、東横に編入されるまで運行ダイヤとかなかったらしいです。
うん、なんとなく知ってました、多分お隣の路面電車だった時代の京王とか市電とかもないですよね、作ってても無駄になりそうな気もするんですけどね。
現在は世田谷区の資料館にも特集があるという玉電ですが、確かに発展そのものだなぁ。