「ロシア異界幻想」栗原成郎

この本の中に出てきた“ドモヴォイ”というのは、なんていうんだろう、日本で言ういわゆる祖霊に近いのかそれとも精霊に近いのか、日本に限ってしまえば“座敷わらし”によく似た話もあるのだけれども(家憑き妖精なんてのも似てるような)、自分と同じ姿で現れて、時に害を為すこともある、となるとやっぱり違うのではないかとも思うし。
なんというのか、もともとの話そのものに幅があるというか、日本人に限らず、その社会で育った人でない限り、その微妙なニュアンスはわからないのかもしれない。
(それは日本にも同じように他国に理解されないものがあるという意味でも。)


なんでも、ロシアというのはキリスト教の諸派と、イスラム教、ユダヤ教の中から東方正教会を選んだためにカソリック化されず、古い因習の類が残ってしまったんだよ、というような説明がされることもあるようなのですが、まあ、プロテスタントのイギリスが「あんな」だし、カソリックのアイルランドも「ああ」だしであまり深くは気にしない。
竈の神がいるよ、という以前に竈で寝るという習慣の意味がまずわからないし。
乳幼児がビタミン不足でどうしようもなく失われる中、それを「焼いて」この世に留めようとした風俗が今はともかく、かつてのそれを野蛮だとかは言いたくないし。近隣の者が亡くなった時にその墓に、自分の親族への贈り物を入れて持っていって欲しいと願う風習は、それと同じ行動を取らなくても、この世界で全く理解できない国があると思えない。
この国が一時、社会主義への道を選び、宗教を否定した時も。
少しずつ、やっぱり失われる迷信もあったようだけれども、いや、そうそう簡単に失われるわけではないよな、というのは日本に住んでいてすらよくわかる。
むしろ、印象に残ったのはロシアの巨大で寒々しい風土だったような気は。