『都市環境デザイン論’10』#1 都市再生と都市環境デザイン

そもそも初っ端から出てきた香川県の高松市というところはなんでも瀬戸大橋(あと2つ橋あるんだよね)の開通によってそれまで本州と四国との交通要所を担っていた高松港の役割が劇的に軽減し、その時点で都市計画というものを考え直すことにしたのだとか。
正直、わりとよくある話なんですが、今はまだ活気がある、しかし100年後を考えると、という発想になるのってかなり早いんじゃないかなぁ、という気が。
んで、JRの高松駅の土地(JR貨物のまとまった土地があったみたいです)を中心にして、区画を区切っての段階的開発や、土地借地権を利用しての権利者と使用者の分離など、だいぶ傍目にも有機的に進められているようです。
それでも二つの通りを空中でつなぎ、自由に行き来するなどという場合の施工者などに関してはなかなか決まらず、18年くらい掛かってしまったようですが。


もともと戦後の都市計画はまず政府、行政指導の都市計画・都市開発があり。
それがどうも上手くいかない、ということに気付き出した70年代の中期から「コミュニティの再生」と「市場経済依存の官民パートナーシップの開発」という形にて発展。成功例として挙げられていたのが1985年のイエパブナセンター(アメリカ・サンフランシスコ)ですね、トータルで設計された都市だとか、確かに都市は官民両方いないと難しい。
で、現在もこの流れになるのだろう、都市の歴史と文化、固有性を基調とした都市再生…の時期の説明がバブル崩壊以降だ、これは民の暴走と見るべきかなぁw
1992年ロールアジェンダ21の制定、高松市の総合計画はちょうどこの辺りの時期で1993年(というか案外瀬戸大橋もわりと流れとは無関係ではないんだろうね)。
法律などは都市計画法・都市再開発法へと総括される流れになるのかな。