『特報首都圏』知られざる空襲

母方の祖父がもともと東京出身(関東大震災の年生まれ)、で戦争経験者で、その家が東京の西側、わりと新宿や渋谷寄りにあって、地域的な関係で八王子などの話を聞くこともある、という土地柄なのでわりと空襲の話には馴染みがあるものの、わりと断続的に空襲を受けていたはずの八王子や多摩地域と比べて東京、特に関東大震災後に発達した西側の土地に対する空襲が本当に終戦直前の数度という程度にしか行われなかったということ。
当時も今もたくさんの基地があるはずの横浜の地で、なぜか集中的に狙われていたのが下町地域だったということ。
そもそも関東大震災の被害地域と当時の戦中の空襲の地域がなぜ重なっているのかというと、アメリカがそもそもその震災被害の地域を参考にして空爆計画を立てたからだとか。
完全な動機部分までの解説はされていなかったんですが、なんだかこう、あれかなぁ、占領を行うことを見越しての事情によるのかなぁ、と考えるともやもやするのですが。


このタイトルになっている「知られざる空襲」はそれこそポツダム宣言(大雑把に無条件降伏の受け入れ勧告)発令後、10数時間後に行われたという熊谷空襲。
出演していた方は日本の降伏がもう少し早ければ、そんな空襲はなかった、それは殺人に等しい行為だ、ということを述べておられたんですが。
うーん…、これ、全体的なアメリカの空襲計画を聞いた上でなければあるいは納得していたかもしれないんですが、ちょっと無理かなぁ、なんで埼玉県熊谷だよ、脅しだよね、としか言い様がないというかアメリカの事情で急いでいたようにしか思えないかなぁ。
この手の資料が今の時代に出てくるのは、まあ、新政権絡みで、不思議ですね、今もそれほど自由ではないというか、まっさらでは半世紀以上前のことが扱えないってのは。