『ブラタモリ』SEASON2 #7 日本の住宅をブラタモリ

まあまずなんで江戸の下町で長屋なんてものが発展したのかというと、武士50万、町人50万人の居住を誇っていたものの、町人の住む場所は17%くらい、で良かったっけ? 大雑把にえらい差があったかららしいんですが。
あれだよね、よくよく見ると灰色の町人区域にも小さめの武家の白いお家あるねww
正直、最初に出てきたお家に住んでおられるお兄さんが傍目に只者に思えなかったんですが何者だったんでしょうか、どうして木製の糸車が転がってるんだろうお家に、CGいらない回でした、セットなんだろうかとずっと思ってたんですけど、残ってたんだろうか。
続いて羊羹が出てくるわけですが、いや洋館、この筋の方には有名だと思います各種岩崎邸、建築家のジョサイア・コンドル氏は正直本当にどこにでも出てくるよね。
ベランダは南側に向けて屋根を付けて、風を取り込んで家を涼しくする生活の知恵なんだそうですが、すみませんでした、日当たり良くして洗濯物干してたね!!
さらに続いてどこだっけ、関東大震災ののちににわかに増えたコンクリート製のお家だっけ、あれ、倒壊がどうの火災がどうの、としかあんまり言われてませんが、多分ですけど当時用意出来る材料と工程の時間が…そうでないと煉瓦造りも合わせて後退した意味がわかりにくい気がするんですよね。
とりあえずこの深川のお家は地下室も含めて空襲時には格好の逃げ場になったとか。


あ、一つ抜かしてた和風建築の中に洋風の応接室を一室と、ガラス張りが始めて取り入れられたお家が間にあって、そして最後が皆大好きだった団地。正直狭い、場所よりなにより部屋の使い方がものすごく狭い、と思うんですが、あれが憧れの生活だったんだよなw
日本人は過去を振り返らないなぁ、と言われてましたがむしろ長屋的発想じゃない?