『ブラタモリ』SEASON2 #18 横浜をブラタモリ・完全版

もともと横浜ってのは入り江(蛸壺みたいな形で入り口のとこだけちょんと蓋みたいなのが付いてました、あれも人工のものなのかなぁ?)でね、というのはまあ関東に限れば横浜に限らず少なくはないんですが。
入り江の奥っていうか陸の方からまず田んぼにするために順次埋め立て。
続いてちょこんと出た蓋っぽい土地に斜め45度に埋め立て地を作り(現在の横浜中華街になってるそうです)、最後に隙間を埋めるように「蓋」と田んぼの間を埋めて水路以外は全て埋め立てて港にして完成ー、ということのようですが。
正直なところ、時代背景がよくわかりませんでしたw
明治期にはもう開港していろいろやってんだよね、あとから埋め立ててったほうは長崎の“出島”をモデルに作られたそうなんですが、これはかなり新しいのかもね。
ちなみに横浜中華街はもともと中国人を中国との交戦中にそのままにしておくわけにも行かなくて、と集められた土地で、ところがどっこい戦後はむしろ日本人よりも若干自由な身分になってしまったので、かつて戦時中に職業が制限されていた(料理人は問題なかったわけね)頃の名残りで今の街が形成されてったんだって。
こういうちょっと角度が特殊な街を、というのは知らなかったんですが、不思議な気持ちにならないでもないかなぁ、でも、そんなに全体的に悪い話でもないのかも。


いやいや、ブラタモリなんですが、なのでその当時の埋め立て(時期が違うので)傾斜を見つけるぞー、とか、小学校の地下にドイツ企業のビール作りにも使われた貯水池が残ってるよんとか、港に関東大震災で埋もれた転車台のレーンが残ってたよとか。
一旦全て失われたんですけど、絵葉書が全世界に散ってたり、よく復興したよなぁ。