「カペー朝−フランス王朝史1」佐藤賢一

そもそもカペー王朝というのが名前くらいは聞いたことがある程度で実態がわからない人も少なくないんじゃないかと思うんですが、あれですね、「イングランドプランタジネット王国」に王の嫁を領土ごと寝取られたのがこの時代。
カペー朝の王領直轄地がフランス全土の4分の1の時代に、アキテーヌという4分の1よりちょっと大きな領土ごと分捕られました、王の嫁がそこの女領主だったんでw)
アキテーヌボルドーというワインの名産地である都市が有名ですね、そもそもワイン作ってたのもイギリス向けだよ。)
 
このカペー王朝の前の王朝がカロリング朝、後のイタリア・ドイツ・フランスに相当するカロリング帝国を作り上げたシャルルマーニュ(ドイツ読みでカルロス大帝)の王朝だったんですが、この帝国の首都がドイツ寄りになった時点で帝国が分裂。
王を含まない形で分裂したフランスの領土を引き継いだのがカペー王朝。
要するに前の王朝の血統がない王朝でした(なので女系でカロリングの血を入れてる)。
当然王位を継いだところで領土もないもので、ひたすら長生きし、必ず直系の息子にあとを継がせていた、という部分においてのみ優れていたね! という著者さんがとてもわかりやすいんですが他になんの取り得もなく、それでも少しずつ領土を増やしていたところに娶った上記アキテーヌ地方はイングランド王家にかっ浚われたという。
幸いに次の代のフィリップ2世が上手いことイングランド王家から土地巻き上げてくれたんですけどね、そこに至るまで何代も領地狭かったんだよねw
一応十字軍を出してた世代なんですが、別に興味なかったと言われたらなかったと思います、だってそれどころじゃないだろうこの人たち、マジで!