『八重の桜』#6 会津の決意

ちょうどこの大河を意識していたのか去年の年末に白虎隊をテーマにしたドラマを連続放送していまして、そこで中心になっていたのが西郷頼母氏だったのですが、やっぱり八重さんのお兄ちゃんがたびたび駆け込んでるのって頼母さんだったか。

そのドラマでは会津というのはどちらかというと頭の堅い、古臭い藩として描かれていたように思うんですが、うーん、正直、そういう面も否めない部分があるにはあるんですが、なんだろ、古いとか新しいとかよりもそれ以上に大事なものがあって、例えば現代の尊王やら攘夷やらの「狂気」も日本全土に蔓延してるのに、会津ではあくまでも意見の違いなんですよね、激することはあっても、通じるんだから我慢しなさいって頼母さんがお兄ちゃんを諌めるし、実際に意見の違いがあっても最終的にはわかりあえる、みたいな。

で、この次の回になるんですが、そういう前提に立つと会津が京都守護職に着いてからの行動の意味もなんとなくわかるし(まず話し合いをしようとした)、多分、それだとどうにもならなくて行き詰るんだろうな、と考えてしまわないでもないんですよね。

 

幕府がじきに京都入りするという時期、京都守護職の役が会津に廻ってきたのは、なんだろう、傍目にも現代人にとってもどちらかというと突然だったと思うんですが、「他にいない」と言われるとそれも全くわからないことでもないのですが。

ただ、地図を見て会津から江戸までの距離と京都までの距離を見ただけでも溜め息も。

お兄ちゃんじゃなくても家老の頼母さんでなくても忠義心に厚いお殿様でもやりたくないよなー、というのも当然だよね。結局引き受けてしまったのも、なんだろ、会津だからってことになるのかなぁ(ただ、お殿様が養子だからって気は全くしないでもない)。

八重さん家も、お兄ちゃんが京都に向かうことになって、時代と無関係ではなくなるか。