『現代南アジアの政治’12』#7 インドにおける中央・州関係の展開

もともと現在のインドで“半連邦制”となっている制度の元になったのがかつてイギリス統治下の制度だ、というところから話が始まるのですが。まあ一番イギリスが軟化した時のなんですが、と言うものの若干複雑そうだよねw

(1935年インド統治法ではインド総督/議会/内閣が国家に任命され、インド総督の任命による州知事/議会/内閣が存在、この州知事には現地人が任命されたので州単位での自治は勝ち取ることも可能だったとか。)

独立後はインド総督の変わりに大統領が、州知事は選挙に、という変化に。

そもそも1976年の独立の時点でパキスタンが分離したことも合わせ、推定で100万人を超える被害が出た、とも言われているために時の政府は州を言語で作ることを躊躇った、と説明されていたのですが、要するにかつての「王国」が言語を隔てていたんじゃないかな、インドがばらばらに独立してしまうのではないか、という心配をしたため、州の分割と言語の分割を微妙にズラし、別言語が混ざるようにしたのだとか。

ただ、このために多言語が存在する州内で出世するのが英語話者という悩ましい事態も。

その後、全国一党支配となったインド国民党時代に分離解体の心配はないな、ということで段階的に現実の言語と州の分割が合わせられるということになったようです。

 

インディラ・ガンジーの時代を経て、1989年以降は競合的多党政治。

1989年下院選挙、国民戦線5党/1991年インド国民会議派2党/1996年、統一戦線13党/1998年、インド人民党連合14党/1999年、国民民主連合17党(元インド人民党)/2004年、統一進歩連合14党(元インド国民会議党)/2009年、統一進歩連合10党。ああ、混線の極みだねw