『現代南アジアの政治’12』#10 なぜインドとパキスタンは対立するのか?-カシミールをめぐる戦い

インドとパキスタンはそもそも「イギリス領インド」という同じ前身を持ち、実際の支配としては数多くの半自治の王国(藩って訳されてますね、日本のよりは大きいと思うけど性質は似てるのかも)を有した国同士。

政教分離を唱え大インド主義を唱えたのがマハトマ・ガンディー氏だったのですが、それに反して“二民族論”を唱えたのが後のパキスタン(東西パキスタン、東パキスタンはのちにさらにバングラディシュとして独立)。そもそもの出発点から違うんだよ、というのが説明されていたんですが、分離独立の時点では両国の移動にてだいぶ混乱し。

独立後も西パキスタン側カシミール地方が領主と民衆の宗教が違う、ということになり、分離自治の変遷を繰り返し、というのがカシミール問題。

(お互いアーザード・ジャンムー・カシミール州(開放された、の意味)とか北方領土(2008年にキルギット・パキスタンに改称)とか好きに呼んでますねw)

 

ベンガル人主体の東パキスタンはインドと接近してさらに独立しちゃうし、インドは核開発に走るし、パキスタンもそれに追随するし、パキスタンは3軍統合情報部(ISI)なんてぶち立てるしインド国内のテロを支援し「越境テロ」問題で揉めるし、という感じで第3次印パ戦争までが行われるんですが。

これあくまでも全部連動した流れなんですね、シムラ協定っていう中国・インド・チベットで結ばれた協定が講義の中で出てきてたんですが、旧ソ連のアフガン侵攻(パキスタンの隣、インドとは国境線なし)も絡んできたろうし、うーん。

現在は比較的関係が軟化しつつあり2008年のムンバイ同時多発テロ以降の停滞は挟んだものの、軟化傾向ってのは変わらないのかなぁ、まだ決定打はないんですね、多分。