「高架鉄道と東京駅-レッドカーペットと中央停車場の源流 (上」交通新聞社新書038、小野田滋

そもそも東京駅を語る本でなぜまず東京の市街鉄道の話や、都市計画に当たった市区改正委員会から語り始めたのかといえば、まあ、東京の東側には当時南北の線路を作ることが出来ず、まず西の大回りの路線から作った、東京駅そのものが悲願の存在だった、という辺りによるのでしょうが、それ知らないとちょっとわかんない話なんだろうなこれw

(そもそも甲武鉄道が引き合いに出されてましたが、東京馬車鉄道がすでに「市街鉄道」名乗ってたよね、東京馬車鉄道は日本で最初の私鉄。)

総武鉄道の橋梁の技術を転用した高架による市街線や、甲武鉄道の地形を利用しての踏切の存在しない市街線の話まではなんとなく理解出来たであろうものの、なんで次に甲武鉄道の電化に関して語られてたのかもわからない人にはわからないんじゃないのかな、という気もしないでもなかったんですが、これは要するに市内走るのに蒸気機関だとね、という話もありますし、この電化の直前に市内に路面電車系の私鉄(のちの東京市電)が前後して走り始めてるんですよね、こっちは触れても良かった気もします。

 

あと、細かい話なんですが小田原電気鉄道(今の箱根登山鉄道です)は関東だと電気鉄道での開業の2番目のはずで、その前に京浜電気鉄道(今の京急電鉄)のさらに前身が開業してるんですが、なぜか出てこなかったんですが、なんでだろ?

甲武鉄道に関係してた雨敬さんと岩田作兵衛氏も京浜にいたのになー。

まあいいや、この本では、甲武鉄道が飯田町駅から順次万世橋駅まで路線を延ばして行くところまでで上巻が終わっていたんですが、万世橋駅は東京駅のサブ機能として予定されていたらしいです、ただ、設計そのものが東京駅の予行練習ってのは知らなかったなー。

総武鉄道のが市街線早かったのも知りませんでした、技術で説明されるとわかりやすい。