『住まい論’10』#8 地縁居住のカタチと住まい

正直この回の途中まであんまり面白い内容じゃないなぁ、と考えながら見ていたんですが、多分それ自体が「現在はもう通用しない概念」を語っていたからではないかと思うのですが、大雑把に言うと近所とのコミュニティ形成みたいな話なんですが、むしろ逆に“神楽宿”などに関してはそこそこ興味深く聞けるんですよね。

これは各家が神事のための機能を合わせ持ち(そして多分持ち回り)、どちらかというと行事を中心に住居が形成されていたんだよね、という内容だったんですが。

その次、ご存知の団地が複数の住居同士で一部を共用する、という話になると、なんだろう、いろんなケースが出てくるものの、なんかもうピンと来ないんですよね。

しかしあれ、いろんなパターンを模索してたんだなぁ、中庭の共有なんてのは悪くなさそうな感じだったんですが、ベランダが向き合っているケース、勝手口がつながっているケースなどなど、最初から仲がいい相手ならともかく、誰が来るかわからない場合だと嫌だなぁ、と考えていましたらば、やっぱりプライバシーや防犯関係の問題から少しずつ減少していきまして、という展開に。まあそうなっちゃうよね。

 

で、最後に出てきたのが住居の一部を近所の人が自由に使える多目的スペースとして解放しているお家や、もともと人が集まる庭だったのでどうせなら、と一般解放された個人宅の庭に、各人が借りている畑の他に、共同で育てる畑を作るよ、なんていう試み。

これ結局、面倒見がいいというか、ある程度コミュニケーションそのものを目的としている人がいて多少の負担を覚悟の上(畑とか特に、世話せずに持ってっちゃう人もいるでしょうしね、ただ、それも許容してるんだろうな)、ある程度長く続いているのならばやっぱりそれ以上に助ける人もいるってことなんでしょうね、きっと。