『住まい論’10』#10 集住計画の導入-都市と住まい1

そもそもこの回で使われていた「集住住宅」というのはいわゆるマンションやアパートの階層による共同住宅や、長屋などの同一規格の建売住宅などをトータルで指しているそうなのですが、そもそもそこを含めて語る適当な単語がないため、便宜上使ってるんですよ、ということを言ってらしたんですが。

住む側としては全く違うので、学術用語でもない限り必要ないのかなぁ、とは思うのですが、都市計画の目的としては同じってことですよね、急激な人口増加に対応するためにまとめて提供された住居(作り手の手間を省き、規格化することで安価にも提供出来る、と)。

もちろん日本には古代から都市そのものはあるものの、あくまでここで語られていたのは近代以降の爆発的な都市の人口増加に対しての話。

私、少し前から近代関係の本を読んでいるのですが、主に関東大震災を契機に都市人口の増加が、と言われていることが多いものの、実際にはその人口の流れそのものは前の時点から始まっている、とも言われていまして、実際にこの回を見ていてもすでに集合住宅のスタイルが大正11年(大正12年が関東大震災)の時点で結構確立している。

関東大震災ののちに、急激な変化があった、というのは多分事実なのでしょうが、その準備、というか、人口増加の理由のようなものはもっとずっと前からのものなんでしょうね。

 

幾つかの戦前の実際の集合住宅が紹介される時に、複数の世代や家庭の形態が共に住んでいるのが自然なのであって、同じスタイルの家庭ばかりを集めた戦後の集住住居の計画は、やっぱりちょっと間違ってんだじゃないかなぁ、ということを言ってらしたんですが。

ああうん、ウチの近くにもありますね有名な失敗例!(多摩ニュータウンです)

設備が不自由でも若い人は平気だし、安い住居の提供のが大事ってのも最近聞きますよね。