『住まい論’10』#12 集住計画の導入-都市と住まい3
戦後、空前の住宅不足(多分壊されまくったのもあると思うんですが、あと復員? それから結構な人口増加もあったんだよね確か)に対抗するために国がまず目指したのが一世帯一住居計画、でこれは戦前に作られた公団や、それ以上の民間業者の手によってわりと早い段階で到達し、その後、「一人一部屋」というところになった段階で、もちろんそれ自体はただの統計上の数値ではあるものの、国が優先的に行う事業ではないと判断された、というのは個人的にもっともだと思います。そこからは個人の仕事だよなぁ。
なんとなく聞いていて感じたんですが、公団が行ったのはモデルケースの提供みたいなものだったのかなぁ、と。もともと人口の増加が始まったのが戦前で、その対策のために住宅営団が作られたものの、戦後に戦争のための組織って見做されて改編されちゃったんですよね、でも結構人口増加が切羽詰ってて戦争協力どころじゃなかったって聞いたことがw
んで、まあ団地などにも代表される詰め込み住宅を作っていたもののオイルショックを境にしてその方向性が変わりまして(高度経済成長期が終わって建築費が高騰)、さらにバブルの時代が終わって、個人重視の時代が来た、と説明してるんですが、2013年ちょっと怪しいことになってます、大丈夫かな…。
今の社会はストック型社会という「持続可能な社会」を目指しているのだとか。
住宅建設はそもそも5ヵ年計画によって運営されていたんですが、5年10年、15年、とわりと明確な変化があって、多少なりと戦後史を知ってるだけですがそこそこ理に適ってるように感じてそれ自体が面白かったです。
かつて田中角栄は日本列島改造論ってぶち上げていたわけなんですが、それはそれで当時としては正しかったんだよね。その上で、現在には大雑把すぎるんだろうね。