『八重の桜』#30 再起への道

正直こう、今までずっと会津視点寄りで大河を見ていて、まあ廻る土地なんかもわりと東北の地だったりして、それに慣れていた身からすると「会津会津っていつまでも」とか言われても口を開けば嫌味、身動き一つするにもプライドを満たすことへの優先をまず滲ませる土地柄に触れてるとしょうがないじゃない?! と思わないでもないですね。

会津だと女性でも別に馬鹿にされたりしなかったからなぁ、というかぶっちゃけ、主張しなくても特に粗末に扱われるってことそのものがなかった。

(お父さんが八重さんに銃を教えることを渋ったのも、女の身で銃の腕が良くなった時に一体どうやって生きていくのか、もっと辛くなるだけじゃないかって思ってたんだし)(それはこう、世相的に正しくても間違ってても誠意ある発想だよね、少なくとも。)

 

ある意味で御伽噺めいた美しさがあったのが会津で、だからこそそこが失われた時にどうしても執着はあるし、だからこそ苦しい、ということなのかもしれませんが、そういう意味だと今は生き残ることが戦いだ、と言い切る八重さんって強いよなぁ。

なんだろう、武家の妻が商人の愛人になって生き延びるってまあやっぱり、多少の引っ掛かりくらいはあっても責められないし、食べ物をいかにも与える、という様子に怯む姪御さんはけしておかしくもないし、でも八重さんはそれを笑顔で受け取る、でも姪御さんも一言も責めない、仇を討ちたいという気持ちも責めない。でも教えられないと断る。

己の身が馬鹿にされてもそれ自体は怒らない、会津のことだけで怒る。

でもその怒りを恥じて駄目だなって落ち込むっていう、そうだなぁ、八重さんってこう多分会津よりも会津らしい女性なんだろうなぁ。ところで山川の兄ちゃん、兄ちゃん、遠まわしすぎて思いが視聴者にしか伝わってないよ、あれは八重さん鈍くないよ!!