『八重の桜』#33 尚之助との再会

なんか申し訳ないんですが、佐賀っていつどの段階で出てきたの、出てきたと思ったら“征韓論争”で失脚しそうになってるのどうなってんのよww というのが正直なところなんですが、土佐も気付いたら参加してましたよね、もはや記憶が「赤ジャグジの良い人」しかありませんし、それもあんまり会津攻略で赤い人が目立つから調べたってだけだしね!

この辺の時代に詳しい人だとどうやって見てるんだろうなー、と思うのですが。

いつの間にか新政府側でぼんやり参加してた土佐・佐賀が政府から外されてしまい、この後の歴史としては結局、薩摩の西郷隆盛まで失っておきながら実際のところは出兵するんだよね! みたいな、国真っ二つに割れたのはなんのためだったんだよ、というのは多分後世から一方的に見た後知恵みたいなものなんでしょう。

(実際には朝鮮征伐、簡単に片付いたんだけどな! は確実に腹に仕舞うべき発想。)

んーとですね、個人的には朝鮮が日本を認めないから出兵ってのは別に悪いとは言いたくないんですよ、当時の政治がそういうレベルなんですよね(日本の、じゃなくて世界的な政治のレベルがまだまだそんなもの)。そこで兵力に裂く金なんかねぇわー!! と返す薩長・公家側も特に異論はない、というか、理由がそれだと合理的だなと思います。

ただ、寄る辺を失ったかつての武士階級の不満の向けどころとしての出兵要請は、あまり真摯に争われると…なんか釈然としないんですよね、それ、所詮は小手先の目晦ましじゃないのかなって、もうちょっと現代人が描くなら現実逃避っぽい側面出して欲しかった。

 

ところで長州の槙村さんは見直しました、俗も貫くと格好いい、実に良かった。

尚之助さんは、ううん、これでお別れなんですよね、ちょっと今回は感情的に乗っかれませんでした、どうしても八重さんになんにも言ってくれないんですよね。辛いよなぁ。