『八重の桜』#36 同志の誓い

ちょっとこの回を見ていて引っ掛かったのが、八重さんが洗礼を受けたのが結婚式の前夜で、正直その時点までにキリスト教への理解を深めたようには見えなかったことでしょうか、なんてんだろ、うーん、個人的には前回のプロポーズを受けた時点では納得してなかった婚約から結婚に至るまでの経緯には共感出来るところがあった分、少し残念かなぁ。

要するに新島襄という人物は、前へ前へと進むタイプの人なんですね。

キリスト教宣教師の学校にと廃屋を宛がわれて、そこに石を投げ込まれてもほとんどびくともせず、埃まみれの中に平然と膝を付くってのはそれ以上に気高い精神があるからだろうし。八重さんが嘘を付くことを選ばず結果女紅場を止めなくてはならなくなった時に、彼女の生徒たちがかつて新島さんから教わった美しい英語の歌で送り出したシーンも良かったよなぁ、あれ自体には救いがないんですが、かつて会津でもこういうなにもかもが停滞してしまった回があったと思うんですが、あの回も好きだった。

 

そしてそろそろ、槙村さんの理屈の通らない筋の通り方が、これはこれで悪いもんじゃないのかもしれないね! と思えてきましたよ。八重さんと新島さん(カソリックの宣教師ですね)との結婚の後押しっていうか推薦してたくせに、反対されたらころっと女紅場を強権的に辞めさせるとかなぁ。ただ、彼にはいつも狂信ってものがない。

んで、個人的に素直に評価してもいいなぁ、と思ったのが自分も策略を巡らすものの、他人のそれをも受け流せる部分でしょうか。恩義があるから一回だけ、という言い方をしていましたが、同志社でキリスト教を教えているということがわかったらまたどんな騒ぎになるかもわからない、その時は多分彼自身も責任を取らされる立場なんですよね。

その上でそれだけで収めてくれたのなら、なんだろ、やっぱり妄信はないんだろうなと。