『東京人』2012年02月号「日比谷 権力と洋風娯楽の中心地を歩く」

日比谷っていうと前にNHKの『ブラタモリ』でもと入り江の埋立地なんだよん(だから緩やかなこう配が残ってるんだっけ)、ということを聞いたのをなんとなく覚えているのですが、日比谷の地名が入り江特有の「ヒビ」が元なのか「しび」(なんのこと? これが埋め立てられたみたいですが)が江戸っ子特有の訛り方をして「ひびや」になったのかが判然としないらしいんですが、まあ、どっちでも自然発生地名なのは同じなようなw

なんでも日本が欧米に追いつけるように、と考えていた頃に上流階級向けの鹿鳴館とセットで当時存在していなかった日比谷公園を作ったよ、ということのようなんですが、正直時代の仇花とはならずになんだかんだと残ったような気もするよなぁ。

日比谷公園を計画した方も、求められる要素の多さと狭さとに頭を悩ませたようなのですが、それが“幕の内弁当”のような日本らしさになったんじゃないかな、と言われると納得、その地に当時からある松本楼とともに今でも愛されてる意味もわかる気がします。

(もともと日本料亭かなんかだったのかな? この地に入ることになって洋食に転向したんだよ、ということを今の店主の方が言っておられましたよ、日比谷公園で起こるいろんな事件もここに住んでるもので内側から見たんだよー、と言われるとちょっと羨ましいw)

 

他に近くにある帝国ホテル、貴賓向けに作られたので宿泊者がいなくて大変だったものの、当時からパーティ会場としてはそれは盛況だったとか。帝国劇場、宝塚劇場や日比谷公会堂日比谷野外音楽堂などで行われた様々な時代のイベントの話。

近くのお店もかなり自然に老舗ってんじゃなくて残ってる感じだしなぁ。

特集外ではちょっとだけ“中野ブロードウェイ”の記事があったんですが、理念はあれどやっぱり人の入れ物であってこそだよなぁ、土地でも建物でも。