『八重の桜』#39 私たちの子ども

前話で久々に西南戦争が出てきて政治関係が出てきたなぁ、と思っていましたらば、あっさりと終了し(いやそれが史実ですが)、またひたすらの同志社の中の世界、土地の購入も出来ないと言われてるし、建てる前には石まで投げ込まれていたし、熊本バンドは荒れ狂ってたし、女学校も併設されてこう、いろいろ面倒ごとが増えてるわりにはさっぱりしてますよね、なんというか。

個人的に気になるのがキリスト教に関しての話が極端に略されてる部分かなぁ…、もうちょっと踏み込んでくれ、まあ、八重さんと八重さんのお母さんが入信ってことになってしまうと、客観的に語れる人が少ないのはわかるんですけどね。

(主観的に述べるってのは脚本家の人がキリスト教の素地がないと無理でしょうけど、どうしてもエピソードが出てくる分扱い曖昧なのが気になります。)

 

女子生徒たちは別に礼儀を学びに来たんじゃない、と言い、とはいえ、まあうーん、八重さんだと限界あるよねぇ、どうしても。男子と一緒に学ぶとか出来ればいいのかもしれませんが、さすがに熊本バンドまでいるところだとしばらく付いて行けないだろうしなぁ。

要するに、あんまり語られてなかったんですが教師も足りないんだろうね、これ。

槙村さんは同志社の土地の取得を邪魔し「人が変わったように」とか言われてましたが、まあわりとこう、高圧的な人でしたよ、役に立たない相手だと、うん。ただどっちかというと覚馬さんに顧問を引いて欲しいんならそう言えばいいじゃない(正直邪魔してもそれがバレないようにくらい出来るだろ)、と思ったのでここの話はまあいいやw

元会津の人間だってことは、これからもいろいろ出てくるんでしょうか、まあ、父親が女に撃ち殺されたって言われる経験が辛い時代だってのはさすがにわかるよ…。厳しいな。