「天皇陵の誕生」外池昇

まず天皇陵とはなんぞや? というところから始めて、どうも明治の頃にはすでに神聖な土地であり立ち入りをしてはいけない、という発想はあったものの、実際の古い墓、というか古墳には基本的にそこに葬られた人物の名前というものが記されておらず。
じゃあ、今天皇陵とされているものはなにか、と言ったら日本書紀とか古事記とか、延喜式などの記述に頼り、となるものの、実はこれの中でそれぞれ内容が違ったりw
そもそも成立の段階で時代ズレてたりするからなぁとかいろいろ悩ましい。


実際に明治期のわりと名の知れた学者とそのあとの説がいろいろと違っていたり、源平の頃の話ですが、水に沈んだと言われている安徳天皇なんかの場合には生存説などというものがあるために幾つかの土地に候補地が存在し、そもそも即位したかどうかすらよくわからないのだという長慶天皇陵も同じく、要するにこれは民間伝承の類に近いんですが。
その場合に一体どうしたのか、というと安徳天皇に関しては明治天皇が一箇所を選び、ただし有力候補地とされた4箇所はそのまま温存。長慶天皇に関しては数が半端ではなかったのでかなり細かく真偽についてのランク分けがされたにも関わらず地味にランクが低い場所が選ばれただし「実際に判明するまで」という保留付き、候補地は消えました。
なんでそうなったかという違いもよく考えると納得が行く部分もあるし、微妙かな、と思うところもあるし、ただ、最終的に妥協しなきゃならないのは仕方ないよなw
個人的に私は大正天皇陵である多摩御陵に関しての興味からこの本を手に取ったのですが、明治天皇陵が結局どうして京都伏見となったのか、ということには詳しかったものの、大正天皇は全く出てこなくてちょっと残念、ところで明治御陵もご当人の決定です。
いずれも最後は理性に貫かれてるんだけど、経緯がなんか闇雲だよなぁ、不思議。