「春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史」フィールド・スタディ文庫6、田原光泰

春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

 

 

わりと長いこと渋谷区に暮らしてきて、そもそも都会に川があるというところからあまり馴染みがないのですが、最近都心さんぽ系や地形本、水路系の本を読むとあるわあるわ旧水路や小川やその名残り。

なんで残してあるのかはわかりませんが、橋げたとかほとんど撤去してないんですね。

正直渋谷川の氾濫区域からは離れてるんですけど、緊急連絡は来ることになってるみたいですね、私は北部渋谷川はだいぶ南寄りの印象、実は南北に流れてるみたいです、蓋された後からしか知らないんだね、要するに。

そもそも東京オリンピックのために渋谷川に蓋をして下水道としてしまった、ということがわりと最近否定的な文脈で聞くことが増えたんですが、実はそれに近い計画自体は結構昔からあったことや、他の水路が次々と潰されても、土地の人間はそもそもその水路を川ではなくどぶ川として認識していて、特に惜しむようなことがなかったとか。

ただ正直、渋谷川を排水路として残す名目で他の水路を潰していって、最後に残った渋谷川の時点で急拵えで下水道(排水路とは混ぜられないみたいです、処理方法が違う)としてしまったら、そりゃ溢れるだろ、確かに認識してた事情とちょっとずつ違ったけど「大差ない」を通り越してもっと酷かったかな!!

というのが正直なところです、そもそもこの辺で江戸の急激な人口増加を支えるための水田が作られたということから始まっているともなると、だいぶ話が長いよなぁ。

そもそも人工的に作ったものだから、もともとあった小川も含めて執着なかったのかな。

 

“春の小川”は教科書などでも必ず出てくるような有名な曲で、渋谷川の支流の一つ、渋谷の近くで明治に作られたって聞くと、まあ土地の人間が一番驚く気がするかなぁ。