「東京の「年輪」発掘散歩」言視BOOKS、川副秀樹

東海道甲州街道、中仙道、奥州街道日光街道(途中まで一緒ですね)というのは、東海道は言うまでもなく現代も鉄道にも名前が残る大幹線。甲州街道大名行列が3藩という、徳川の私道のような位置づけだった特殊な道。

中仙道は女性向けで、いくつか京都からの花嫁が通るような道(の途中に縁切り榎があるというのはやっぱりなんかちょっと縁起が悪い気はしますw)。

奥州街道日光街道は、うーん、浅草寺に新吉原、猿若町(芝居)に千住宿とさまざまな「悪所」がつらなっている庶民の道、というような表現をされていたんですが。

どっちかというと後半のほうが面白かったですね、甲州街道は、正直住んでいる人間にとっては当たり前みたいな存在感の道なんですが、外から来た人が当時の痕跡を見付けられないって言われたらまあ認めるしかないしなぁ。

江戸はそもそも徳川幕府の時代からしかあまり印象がないように思われていますが、実際のところかつての江戸城も千人ほどの収容能力がなかったらしく“たった4千人を連れた徳川家”が結構苦労したよ、という説明もこれもわかりやすいよね。

江戸の話を聞いていて感じるのが、神社仏閣がどうも高尚な意味ではなく普通の意味で娯楽の場所だったらしいとか、ミーハーというか、有名人の史跡とか墓とか大好きで各地に作っちゃうとか、東海道の「高尾太夫の墓」も大概でしたが、おい千住宿無関係ww

お岩さんもあれ、なんでああなっちゃったかなぁ、とぼやいてましたが、話の真偽とかそこらに置き去りに面白ければ良し、とした性質自体は笑って済ませるのが平和かも。

 

個人的にこのテーマならば江戸以前からの階層で語られているものが読みたいな、と思ったんですが、だってほとんどが江戸からなら、残りそんなにないじゃんねw