「カール大帝-ヨーロッパの父」世界史リブレット人029、佐藤彰一

 

そもそもこのカール大帝、の大帝の部分は皇帝の意味で、なんの皇帝かというとローマ皇帝。この本よりも結構昔に、ローマ帝国が最後に2分割された時の“西ローマ皇帝”。西ローマのほうは一旦廃位させられてしまいましてこの時に復活。
東にもあともう一人“東ローマ皇帝”ってのがいるんですがそれがビザンツ帝国です。
フランク王国というのは西ローマ帝国の領土だったろうと目されてるガリアの辺りにのこのこと外からやってきた民族で国を作り、王位はローマ教皇庁のほうから与えられました。なんでローマ教皇庁が与えるかというとローマ帝国でそういう仕組みになってたんだよ。
あと、「カール」という呼び方はそもそもドイツ語読みだったらしく、フランス系の資料だとシャルルマーニュと呼ばれているのですが、まあローマ教皇庁はイタリア系だしカールの文化サロンにはアングロ・サクソンイングランドはまだないです七王国時代)の側近がいたりしたし、この皇帝位が結局ドイツ寄りの土地のほうで継承されたんで、まあどっちで呼んでも間違いということでもないんだろうと思ってます。

 

このカール大帝、というより、カロリング王権もその前のメロウィング王朝もですが、どうもフランク王国そのものが戦う民族のようで相手は内戦だったりローマ教皇庁の依頼だったりいろいろなのですが、安定しない。
このカール大帝の最大版図も結局彼の死後すぐに分裂して瓦解してしまいますしね。
ただその背景としてイスラーム勢力勢の侵攻や、ビザンツ帝国との微妙な関係というのもあって、彼の資質というよりも全体的に変化の時期でもあるのかなぁと。女帝イレーネとの婚姻話はわりと見てたんですが、彼女が死んでなければ実現してたのかw
うーん、まあやっぱり、過渡期の人かなぁ、切り口として難しいよね。