「鉄道と日本軍」竹内正浩

例えば中央線の新宿から東の部分で、少し湾曲して陸軍の施設とつながっていたんだよん、というのはわりと有名で(当時は甲武鉄道っていう私鉄ですね、政府掛かりの部分もあったけど)(まあ当時はそれが普通)、そこから今の山手線に乗り入れし東海道線に入って、という説明がされていたのだけれども、ああなるほどそういう使い方してたのか。
ただ確か、明治の頃にはたくさん東京市内にあった軍事施設も、かなり早い時期から移転していったんじゃなかったっけ、軍事遺産系の本(それこそ著者さんも書いてますが)でもほとんど市内のものは痕跡も残ってないと紹介されてた気もします。
てことはこの甲武鉄道と陸軍の特殊関係みたいなものもその後特に有効でもなくなった、と考えるのが妥当なのかなぁ、なかなかその辺触れてなくてわかんないんですよね。
それと中山道という、まあ今の東北線関係の経路と、今の東海道線である東海道とどちらを東西幹線として作るか、ということで揉めたってのもわりと最近聞くのですが、多分ですが、この著者さんが取り上げたのがきっかけな気がします。なんか論調に見覚えあるわ。

 

面白かったのが今まであんまり具体的に読んでこなかった後半の「満州」(実は現地では古名)の地のロシアと日本軍の鉄道路線の運用に関してでしょうか、シベリア鉄道は標準軌よりも広い軌間を選択し単線で待避線もなかったので車両作って一方通行で流して到着点で兵舎にしたり残った分は焚き付けにしてたって、大胆だけど案外効率的なww
日本軍は狭軌選択複線で、やっぱり結構時間掛かったようです、まあそりゃそうだ、ある意味で対照的というか両国の国民性が出てる気がします。ところで日本軍、確かに環境さえ整えば強いんだけど、やけに餓死者多くないか…。
テーマとして一貫性はなかったものの、ばらばらに捉えるとどれも良かった気はする。