『産業立地と地域経済’12』#6 雇用・労働の経済地理学

そもそも「労働力」ってのは他のものに付随してるものなので、物のように取り扱うわけにはいかないんですけどね、という前置きから始まったこの回の講義なんですが。ただ、例えば高度経済成長期の頃の金の卵たち(中卒労働者)は、そもそも農家での機械化が進み、余剰労働力になりつつあった時代、都市近郊の工場に吸収されるべく学校から一人一社という形で紹介されて送られたなんてのは、一部ですが商品化されていると言えるし。
(実際には遠い企業と故郷をつなぐ場合、中学生がそれぞれ就職活動するのは物理的に無理があるよね、という意味での現実的な妥協点ではあったんだけどね。)
その後、少しずつ時代が変わり、むしろ安価な労働力や土地や設備などの問題で都市から地方へと工場が移転し、農家との兼業や、祖父母世代が農家、子ども世代が工場勤務(収穫時期などには休むことも折り込み済み)などのスタイルを経て。
労働単価において中国や韓国、台湾などのメーカーに太刀打ち出来なくなってしまい、現在は非正規労働者が増え、本当に必要な時にだけ買い、必要なくなったら手放してしまう、という労働力の本格的な商品化が行われている、という流れになっていたんですが。

初期の頃の産業立地において労働力というものが二の次にされていた、というのも要するにある程度無尽蔵に存在する、という前提でしかないんじゃないのかなぁ(だから他の条件のほうが優越した)、ということを聞いている限りでは感じないでもなく。
工業化の時代になるとむしろ労働力があればあるほどいいって時代もあるんだよね。
そしてさらに現在の工場の海外移転も、人件費だけが全てでもないんだろうけど、ある程度の規格化がされてるから「誰でもいい」ってのもあるだろうし。どうも労働力が純粋に物になるたびに社会そのものが大変になってる気がしないでもないな。