『産業立地と地域経済’12』#10 立地調整論

この回以降は実例になる、とのことなので(立地論に続いての再調整みたいな話になるのでさすがにそれは実例がなきゃ無理だよね)、わあ、具体的になるー、と喜んでいたんですが、あー、うーん、やっぱり結論まで達してない気がするなぁぁ。
扱われていたのが東海道沿線、関東側にある工場の移転統廃合、工場間同士の役割の変転みたいな内容だったんですが、結局結論として、立地以上に企業内の事情による、という結論になってしまったんじゃないかしらあれ…うん。
まず出てきたのが1937年もしくは1936年設立、戸塚の日立製作所、電信関係を扱う工場なんですが、ここよりも地価が安い(って意味だよねあれ)神奈川工場に生産拠点は移し、福島の郡山工場と共にツートップ体制。
周辺の住宅地展開により、いくらかの土地は売却したものの、現在も研究と試作を行うための最低限の生産ラインはここに維持されており、むしろ通って来てる人の規模としては千人ほど増えてるみたいですね。多分これ、周辺の住環境と連動した話でもあるんだろうな。

 

それと語られていたのが辻堂の工場誘致の話だったんですが、バブル景気の頃に誘致することが叶ったものの、その後のバブル崩壊にて工場の統廃合によって土地が開いていき、再開発によって作るのが巨大な病院やアミューズメント施設などを総合的に集めたエリア(しかも駅前の好立地)、と聞いて、そうか、ショッピングモールだけで展開することが出来る土地って恵まれてるんだろうなぁ…としみじみと感じてしまいましたよ。
工場の増減のリストがあったんですが、バブル崩壊の頃が最後で2007年(サブプライムローンの崩壊に伴う)世界同時不況の時点ではもう潰れる工場がないww
うーん、全体的に再調整論だったかな、てのがちょっと微妙だったかも…。