「絵解き東京駅ものがたり」秘蔵の写真でたどる歴史写真帖、イカロスMOOK

絵解き東京駅ものがたり (秘蔵の写真でたどる歴史写真帖)

絵解き東京駅ものがたり (秘蔵の写真でたどる歴史写真帖)

 

 

三菱財閥の二代目がこの土地を買って「虎でも飼うよ」と答えたというのは有名なんですが、なにも最初から原野だったわけでもなく(そもそも江戸城の一部だったんだけどね)、今の丸の内の辺りには各種の軍関係の施設があったらしく、一旦それを更地にしたために原野になっていたんだよね、というのは知りませんでした。へー、そうだったんだ。
(というかそのための費用が捻出出来なかったとかなんとか。)
辰野金吾氏の設計だとか、それがレンガ造りにも関わらず関東大震災を凌いだというのも聞いてはいたんですが、まるで一つ残った復興のシンボルのように一時丸の内に官庁が大挙して押し寄せて、それがまとめて霞ヶ関に去ったのちに、大企業が次々と周辺に来るようになったのだとかそういう細かい話も知らなかったなぁ。
新幹線と東京駅がまとめて語られているのもよく見掛けるのですが、オリンピックや大阪万博などの大規模なイベントに恵まれたために好調で、その後、東北新幹線以降の巨額の建設費によって財政が圧迫されて、民営化の遠因になったとも言えなくもないってのは、あー、聞いたことはなかったんですが、確かに否定出来ない側面はあるかも。
もともと複合要因なんですが、時期的には合致していて、確かにその傾向はあったよな。

 

他には初期から戦後しばらくの間に存在した貨物、八重洲口の2年で焼け落ちてしまったという駅舎、そこが電車線専用という名目だった時期があったんだよ、とか、電気計算機や旅行の窓口相談、GHQの占領を受ける中でステーション・ホテルが休業を迫られたり、国鉄ホテル業が禁止されたり。地味に聞いたことないこと多かったなぁ。
というか東京駅の復原って容積率を周囲に売り払って費用を捻出したんですかw 鉄道の歴史でも建築の歴史でもないんですが、これはこれでなかなか面白かったかも。