「練馬区の歴史」東京ふる里文庫1、練馬郷土史研究会

江戸の頃にそもそも八幡神社と稲荷神社以外には制約があったのだとか(あくまで新しく作る場合でしょうね、しかし八幡って地名多いと思ったよ)、この地域に中山道の板橋宿や甲州街道高井戸宿の助郷が指定されていて、馬の供出が結構な重圧だったろうなぁとか。
練馬大根が有名だけれども、そもそも幕府からの命令で作っていたんだとか。
これ確か、江戸の急増する台所事情を支えるために地域ごとに促進されていたっていうし、多分だけど同じ作物を作ったほうが効率が良かったんじゃないのかなぁ。
まあ正直周辺事情ばかりなんですが、明治時代に一旦品川県に編入されていたのは多摩地域と同じですね、結局多摩と一緒に東京市になったってことでいいのかな? いわゆる三多摩は神奈川県ですが、えーとだから豊多摩ってことかな。
んーと、そうですね、今はなんだか中央線のおかげで意識的に分断されてしまったんですが、北側の青梅街道かつて裏甲州街道と呼ばれていたらしいし、南の甲州街道とは同じ文化圏だったんじゃないかなぁ、という気もする。

正直なところ、かつて武蔵国の一部であって江戸の頃には郊外で、そして品川県を経て今は微妙に影の薄い23区、というのは逆に言うと典型的な東京の地域とも言えなくもないんだろうな、と思えないでもないですかも。
明治になってから練馬区になるまでの、戦後の昭和22年まで間があるんですが、その間一度もこの地域からの主張で区分が変わったわけでもないみたいだし。東武東上線西武池袋線、あと西武新宿線がこの地域を通っていて、もともと全て独立していた私鉄なんですが、それもそもそもは土地の農業が目的で開業したようです。
でも、練馬駅前とかちょっと開けてていいですよね、いろいろ悪くはなさそう。