「京急の駅 今昔・昭和の面影-100余年間に存在した全駅を紹介」佐藤良介

前に横浜鉄道との交差部分について軌道のほうが軽いので上に上げられてしまうことになった、という記述を読んだことがあるんですが、うーん、「路面電車が上になる決まりだった」というルールがあったのかなぁ?(昭和初期の小田急関係読んでると京王と玉電の上なんですよね)(そして下手すると横浜鉄道との交差だと他に同じようなケース存在していない可能性が、日本で3番目の電車だもんね、京浜さん)
(あと南武と東横で東横が上になったので工事費は負担したみたいな話も。)
この本はあくまでも駅のみに焦点を絞った内容で、基本的に路面電車の場合は停車場が道路脇に看板を括りつけただけなんてこともままあったようでw 私も何社か追いかけてますが記録に残ってないのに地図の停車場の位置が地味に違ったりしてどっちが間違っているのかわかんないことあるんだよなぁ。
それと、この京浜急行電鉄は戦後くらいまで「京浜」と「湘南」と呼び別けられていることが多く、正直なところ湘南の独立性というのがどの程度のものなのかがよくわからないことが多いんですが、もともと独自の延伸という話なんかもあったりしたのか。
関東大震災で延伸が頓挫して、そのあとで直通、というのは時代合ってたかな?

地味に知らない内容でわかりやすかったのが、本線である泉岳寺浦賀までの路線と、久里浜線との関係、久里浜線のほうが本線だと思い込んでいる人が多いという説明は何度か聞いていたもののなるほど、港の関係だったのか。
ある程度知ってはいるものの、もともと大師電気鉄道(半年かそこらで京浜と改名)の部分や穴守線などの話もわかりやすかったと思います。ただやっぱり土地勘が全くないので厳しい部分は多かったなぁ、川崎大師と鉄道の関係をもう少し読みたい感じ。