『図説日本文化の歴史(5 鎌倉』

この中で一番印象に残ったのはそれまでせいぜい貴人のものでしかなかった仏教の救済が民衆のものとなった、女に対しての救済への徹底的な排除に対しての(ものすごく念入りにどれだけ女が駄目かって語られてるのなww)批判があったという辺りかなぁ。
本の中でも語られてましたがあれ日本だけなんだよね、中国の段階で修行からの女性の排除ってのは行われてたけどあくまで男の側の事情みたいに語られていたはずだし、まあ煩悩あるのはしゃあないけど、本場であるインドだと仏陀さんに女弟子がいるのよね。
すごくざっくり言うと庶民への救いと女への救いって一つの裏表の出来事だよねこれ。
基本的にどの分野に関しても狭い範囲で共有されていた技術(日本刀に関してとか、建築に関して、仏教美術や教えその他の絵画表現などに関しても)が民間に開放され始めた時代、と読んだんですがこれで合ってたかな?
あくまで鎌倉幕府ってのは関東六州の直接支配しか行っていない、というのを支配力の小ささや器の小ささとして触れていた本を一つ前に読んでいたんですが、どっちかというと各地に権力を持った存在がいるってのがこの時代の前提としてあるような感じ。
鎌倉政権(源頼朝)が表面上であっても従うことを求めて、完全支配をしようとはしなかったってのは、確かに武力の限界でもあるけど、理性の証でもあるよなぁ。
で、その分武力を一度に集結させることを重視したことの現われが関東各地から鎌倉へとつながる通称「鎌倉街道」ですね、これ最近東京近郊地形の本でも結構聞くよな。

日本刀に関しての記述があんまり少ないので手を伸ばしたんですが、大雑把に京都から呼び寄せられた職人が、相州伝と呼ばれるに至ったって認識でいいのかな、ていうかその正宗を相州伝の完成させた刀工として持って来ていいんだろうか…実在はしてるだろうけど。