「図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京」歴史群像シリーズ、原田勝正

鹿鳴館時代というのがそもそもいつくらいかというと明治16年に作られて明治23年に閉鎖…って短かっ?! でも、どっちかというと鹿鳴館ってよっぽどでもない限り日本人は聞いたことあるだろうしなぁ、そうなると、えーと、そうだ、まだ丸の内の土地は開拓されていないわけだし、東京市電も走っておらず馬車鉄道しかなく。
鉄道はあるものの新橋止まりでその後貨物駅になっちゃうんだよねぇ、と語られるのみで、上野で行われていたという内国博覧会から続いた展覧会の類。
貴族の遊びのようなものだった競馬(お金賭けてないんですよね、まだ)。
回向院で行われていた勧進相撲、これは両国国技館にとつながったわけか要するに。

鹿鳴館に合わせたように女学院の制服が和服から洋服へと変化したものの、その後の閉鎖を経てまた和装へと逆戻り、などということが語られていたんですが、やっぱり象徴的な存在でもあったのかなぁ。
その外賓館としての役目は裏に作られた帝国ホテルが継いだようですが、そういや鹿鳴館の場所って銀座の地図の端にあったけど地名としてはどこなんだろうなぁあれ。
季節ごとの庶民の楽しみだった寺院仏閣巡りの土地は、なんだかんだとほとんどそのままらしいとか、この時期の建築はまだ黎明期で折衷建築だったりもするのでほとんど残っておらず(第一国立銀行が和城と西洋建築の融合みたいな感じなんですが、多分あれ帝冠建築の走りだよね、本当にあったんだww)、写真も一般的になるのがもう少し遅れるのでかなり特別な建物でない限り写真も残ってないっぽくてだいぶ地域差が。
あくまで明治初期がメインなんで現代まで直接つながってる部分も少なかったんですが、まあ地域ごとってのはちょっと珍しくて面白かったかな、しかし地図は現代比較欲しいw