「東京海上ロンドン支店(上」小島直記

この間、確か『日本産業史』を読んでいた時だったかな? 井上馨渋沢栄一を中心として鉄道(最初に作られた新橋-横浜)を払い下げようとしていたものの、明治9年の時点でその資金源が断たれてしまい、と説明されていたんですが。
これが金録公債(明治9年)とか秩録公債(明治6年)って言われてたもともと藩籍があった元士族たちへの保障に関係してる話だということはわかるものの、仕組みがよくわからない上にそもそも鉄道の払い下げ案を始めた岩倉具視が邪魔したよ! と言われると、もう意味がよくわからないのは私のせいじゃないです、なんだそれ。

で、この払い込み資金の分割が禁止されてしまったため、適当な会社を作らなくてはならず、そこで選択されたのが東京海上で日本最初の障害保険(生命保険はまた別に発祥したよー)、で、三井系の人材が多かったものの資金が足りなかったので三菱に声を掛けたら「3分の1出す」と言われて主流乗っ取られました。
ところでこの時点で高島易断の人(もともと鉄道絡みだったので参加した人員)もだけど蜂須賀家もいないよ! とか言われてますがもうよくわかりません。
そしてその後、船舶会社で三井系vs三菱を2度ほど繰り返しまして、日本郵船へと合体、海上保険にもたびたびどちらの人材も顔を出している、というより、当時の情勢だとなにかあった時に対処出来る人そのものがかなり少ないのね…。
タイトルになっているロンドン支店というのは二人の日本人の若手が中心になって、経営難航の状態から回復させた、というところに話が落着するようなんですが、上巻まででそこに至るまでの明治の財政界のかなり広い部分が関わってくるので長い長い。
ようやっと対処法が出てくると先鋭的すぎて反対、なんとか説得して以下次号みたいな。