「上越新幹線物語1979-中山トンネルスピードダウンの謎」交通新聞社新書017、北川修三

上越新幹線物語1979―中山トンネルスピードダウンの謎 (交通新聞社新書)

上越新幹線物語1979―中山トンネルスピードダウンの謎 (交通新聞社新書)

 

 

そもそも専門家向けのトンネル技術の文章は時々書いていた方らしく、交通新聞社から頼まれた時もそのつもりで安請け合いをしてしまったらば「一般向けの本を」ということでだいぶ躊躇いがあった、ということを語ってらしたんですが。
多分、この題材で本を、ということになった時に、関係者の口からこの方の名前が挙げられることがあったんじゃないのかなぁ(そしてその名前を挙げた方は、皆伏せて欲しいって頼んだんじゃないのかなぁ、とふとね)。
もともと5年で作られるという予定だった上越新幹線は、2度の大規模なトンネル工事とそれに伴ったルート変更のために大幅な開業時期の遅れがあり。
そもそも5年という歳月はそれ以前に作られて来た東海道新幹線山陽新幹線では実際の工期だったらしいんですよね。本の中ではあまり触れられてなかったんですが、東北新幹線もその工期で多分問題なかったんだろうなぁ、と考えてしまうと、それこそ、いまだに傷が閉じきってはいない話なのではないのかもしれない、とほんのり。

この方がなにをした方かというと2度めのトンネル水没事故の現場に居合わせ、その後もこの中山トンネルに関わり続け、村を駆け回り足りない水に気を配り、工事現場から退いた結果話すら聞いてくれなくなった方も避けずにぶつかり、正直、なにをしたのか、と言われると当人も迷ってしまうような感じの方だったんですが、なんだろ。
幾度挫折してもなにがあっても、それこそ同じ区画でトップから副への降格人事があっても(最大限気を配られたのかもともと馬の合った元上司の方が来て喜んでましたが、どう考えても貴方のためだw)、それでも現場に残るって平然と答える人が一人でもいるって、やっぱり周囲にとっては特別な存在だったよなぁ、とまあ想像するしかないんですが。