「古城の風景(5 北条の城」宮城谷昌光

なにか個人的に北条早雲になにかいいイメージがあるらしくて、わりとときめきながら読んでいたんですが(応仁の乱より前から出てくるとどうしても戦国時代の人って感覚薄いんだけどね、あの辺りまではがっつり足利将軍が幅きかせてるしなぁ)、なぜかこの人物と「北条氏」が結び付かなくて、あれ、武田氏は出てくるんだけど北条氏は、とタイトルを思い返して北条早雲ってずっと出てるだろ、と突っ伏したのが残念ながら脚色なしの事実でした。
てかそうか、北条家ってそれか!! たまに結び付かないことってあるなぁww
しかし北条早雲の印象ってどこで付いたんだろう?
彼の姉の北川殿は美しい人だったのではないのかな、というのもなんかわかるんだよね。

まああれですね、北条氏の城だったのでぽちぽちと武田の話も出てきていたんですが、武田勝頼は、これは将軍としては強かったのかなぁ。
家康が正面からぶつかったらとても勝てない、と逃げ出していたりしたんですが。
そういや徳川家康ってあんまり強くはないんだっけ、ちょくちょく負けてるよね、まああれだ同盟者の織田信長とか豊臣秀吉とかが戦に関してはかなり強いんですが、あっちは正攻法ではないんだよね(効率的というか、味方に対しても敵に対しても)。
なんか徳川家康に関しては正攻法に拘ってる気がする、同盟者に習えば良かったのに、と思わないでもなかったんですが、よく考えたら正面対決に強かった武田勝頼はもとより、織田よりも豊臣よりも粘り勝ちしたんだから別にそれはそれで良かったのか。
で、ただ、家康のことは著者さんはあんまり評価してはいないのかな、織田とか豊臣とかに文化的な役割りを求めていたりしていたんですが、下部組織や国にまで徹底していたやり方のせいかもなぁ。徳川は正直「お殿様」寄りだね、いい意味でも悪い意味でも。