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「国境の誕生-大宰府から見た日本の原形」ブルース・バートン

遺跡・古代史 Book

九州の博多近くにあって(というより、博多がどうも大宰府の影響で出来たみたいに語られていたんですが、ありえない話でもないのかな)、九州の地を統治する役にも預かっていたんじゃないのかなぁ、と推測もされている大宰府なんですが。
わかっているのは「国境を管理する役目を負っていたこと」と、中央政権と呼ばれていた、複数の政体に毎回指示を仰ぐ体裁を取っていたらしいこと。
しかし、その後の歴史を考えると、まあ自立活動してたかな、みたいな。ね。
平清盛の時代にもがっつりと貿易の都として周辺地域が認知されていたそうですし、どうも日本の全体の歴史とは無関係に交易が続いていたような節もあるらしく。
あと、「日本側は相手国が徳を慕って朝貢という表向きにしているが実態はただの貿易」みたいなのは他の時代にもいくらか例があるので気にしないでいいですよね。もちろん日本だけに限らないんですが、プチ中華気取りって扱われるとちょっと刺さるかな…。
大宰府は正直この辺のマニュアルを心得ていたようで、完全に本気にしている政権になるとちょっと困っていたみたいですね。この著者さんの守備範囲ではないようなので、あんまり触れられてはいなかったんですが、まあまあ距離感みたいなものは態度でわかる。

そしてこの大宰府、実は周辺施設の建設までは記録に残っているのに建設記録がないらしく、大宰府そのものの使用記録はあるので実在は明らかなんですが、日本の古代史だと巨大建設の記録の欠如が少なくないとはいえなんだろうね一体?
それと日本人だとあんまり気にしないんでしょうが、なぜ九州での防衛に東国からの防人が優先的に当てられていたのかもよくわからないらしく。改めて言われると確かに、防人がやたら強くて他の兵だと役に立たなかったらしいんですが…、謎が多い。