「九十九里鉄道-潮騒の浜へゆくキドー」RM LIBRARY-37、白土貞夫

九十九里鉄道―潮騒の浜へゆくキドー (RM LIBRARY (37))

九十九里鉄道―潮騒の浜へゆくキドー (RM LIBRARY (37))

  • 作者: 白土貞夫
  • 出版社/メーカー: ネコ・パブリッシング
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 単行本
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ああ、そっか、この著者さん同じレーベルの「銚子電鉄」も書いている人ですね、この九十九里鉄道は大正15年に開業、昭和36年に廃線。大正15年だともう地方鉄道法もあったと思うんですが、軌間の関係かなぁ、軌道法によっての開業だとか。
(前身の私設鉄道法ならともかく地方鉄道法だとそこまで面倒じゃなかったと思うんだけど地域の問題かなぁ、地方鉄道法だと開業しばらく補助金が出ましたよね。)
そういや「キドー」っていう愛称がどこから来たのかの説明がどこにあるのかを見逃して何度も探してたんですが、最初の見開きにあったよw 最初は九十九里軌道だったそうですね、地方鉄道法に転換した時に名前を変えたパターンかな、いくつかあるよね。
で、内燃式鉄道として最後まで過ごしたそうです、大雑把に電化しなかったっていう。
ていうか新聞で電車が来た、と騒がれてたみたいですが、ガソリンカーだったんだよねぇ、戦中には代替燃料の天然ガスを使ったり、少しだけアメリカ駐留軍からガソリンを別けて貰って走り出してたり、大変だったので蒸気機関を導入していたり。
そもそも開業の少しあとくらいから戦火は忍び寄ってる状態なので、ここもここで大変だよなぁ、バスの開業と争ったらしいですが、燃料不足の時代考えると762mmのナローケージの軌道で正解だった気もする。

戦後の買出しの時以外はそんなに車両も必要なかったっぽいし、まあ儲けもないけど経費も大して掛からなかったよ、というのがこの形式にしてはの長生きの秘訣でしょうか。あるいはなにかの機会に軌間を広げての他の鉄道の一部に組み込まれたってこともありえたのかなぁ、京成電鉄が近くに遊覧鉄道を計画してもいたらしいですが。
なんか皆覚えてるけど、ちょっと正確でもないんだよね、というご本なのだとか。