「藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府」遺跡を学ぶ067、平井美典

藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

奈良時代藤原仲麻呂、と言われても確かに名前は聞いたことはあるものの少々ピンと来ず(藤原氏もなんか初期の頃いろいろ絡まるよね、藤原氏そのものが本家筋じゃないらしいとかね)、まず琵琶湖から流れ出す瀬田川を挟んで“保良宮”と国府郡が存在、そして北陸道が琵琶湖の西側を、東山道が東側を通り、別のルートだった東海道もじきにこの地を経由することに、という順番で説明されると、あー、確かにこの地に大型の設備があったんじゃないのかってのはなんとなく。それがもともと作り手の趣味によって豪壮な建物だったよ、と言われると全体的に辻褄は合ってる。
てか、道の合流路ってことは要するに流通の要の可能性もあるよね。
どうしてもそういう市などのソフト面は遺跡としても記録としても残らないからなぁ。
国分寺として指定された寺が、記録に残ってる範囲でもそれ以外の推測部分でもどうも頻繁に燃えていたらしいんですが、うーん、江戸でも確かに寺社町が燃えることが多いんですが、なんか国分寺になると燃えてない?
で、正直なところ近江だと戦とかじゃないだろうし、戦の場合語られてるよね…。
国分寺ってなんだろうね、というレベルで少し気になってしまうなぁ。
(勝手な妄想を言うと、この立地の場合、一般市民の宿泊所の可能性とかあるんだろうかね、お寺に庫裏っていう宿泊施設はたまにだけど残ってるよね、小さいですが。)

で、保良宮(ほらのみや)というのはどうも作りかけの都らしいんですが、これが作られたのも藤原仲麻呂の時代で、どうも道鏡の台頭で話が頓挫し。
しかし、建物としては残ったんだよなぁ、近くを通る他の道の存在もあり、あくまで一人の男が作ったようなんですがその後、どうも利用されてたみたいだよね、おもしろw