「聖武天皇が造った都-難波宮・恭仁宮・紫香楽宮」歴史文化ライブラリー339、小笠原好彦

そもそもこの天皇への興味は国分寺国分尼寺の建立を命じたのもこの人、というものがあったんですが、いまいち意図みたいなものがわからないんだよね(護国って言われれば護国なんでしょうが、全国だぜ)。
で、この三つの都を作った理由もいまいちわかっていないらしく、どうも大陸中国の複都制をモデルにしたのではないか、というのもわりとあとで認識されたらしいですね。
少なくとも複都制の分散機能や備蓄、水害への備え、水運を利用しての交易などの側面が日本で実現されていた様子は全くないようで、表面的なものだって言われてるし。
一応複数の都市で行政機能が分散していたものの、メリットあるようにはちょっと…。

そもそもこの都市構造は知られてはいたものの正確な形がわからず、地形やわずかな痕跡からアウトラインを描き、そこから任意の中国の都市ではないかという仮説が出され、その時点で百年も遡るとか(隋唐洛陽城が紫香楽宮、だっけかな)、地形が違うのではないか、と中国の学者からの反論があったそうなのですが。
どうもその地形が違うからこそ、近江に大仏が建立されることになったのではないか、北に山がないことの代わりではないか、と言われてわりと納得。
日本の風水ってもともと土地に人工的に手を入れていくやり方なんだよね。
中国ではあくまでも風水は良い土地を選ぶための手段なので、その学者さんの言ってたことも無理はないんじゃないのかなぁ。北に山がある土地は…鎌倉幕府かな、谷みたいな感じだけどね、そういや江戸でも山の代わり作ってたわ!!
この本そのものは学説の成り立ちと複数の人たちで作っていく仮説の集大成みたいな形で描かれていて、まだ途中ってことなのかな、期待しています。