「東京下町に眠る戦国の城・葛西城」遺跡を学ぶ057、谷口榮

東京下町に眠る戦国の城・葛西城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

東京下町に眠る戦国の城・葛西城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

葛西って言われると「葛西菜」「IT関連のインド人町」「東京メトロ東西線」「葛西城ってたまに聞くだけなんだけど詳細知らない」みたいな感じにぱたぱたっと出てくるんですが、あ、これそもそも葛西と葛西城って位置違うのね。青砥の辺りって結構北寄りだよなぁ、で、城の跡地は今も一応一部が公園になってるのかな。
青砥はもともと青戸と書き、戸というのがもともと港という意味だとか。へー。
なるほどなるほど、それこそ環状7号線の調査のために発見され、一通り発掘はされたもののその部分が丸ごと道路になっちゃったんですね…。
そもそも江戸がかつて湿地だったのも、江戸の時点から埋め立て工事が少なくなかったのも事実ではあるものの、言うほどなんにもなかったわけでもないんだけどもね、というのは前から聞いていたんですが(だよねー、江戸城からすでに原型あったわけだし)、ああ、幕府の能力の誇張化の必要があってね、と言われますとわかりやすいですね。
(なのでまあ、そこまでその意見に目くじら立てなくてもいいし、しかし学術的な物の見方する時はそのことを念頭に入れたほうがいいってことだよね。)

というか小田原の谷の名前が元っていう「葛西殿」とは結局関係があるのでしょうかないのでしょうか、関東にしか地名としては存在してないらしいんですが、えーと、城を開いたのは上杉氏、小田原北条氏が攻略、また上杉系に取り戻されて北条に取り戻されて、豊臣秀吉の小田原攻めで落城ってどう考えても結構重要拠点ですね?!
お堀の泥の中のどう見ても高貴な顔の女性の首とか、銅銭が沈めてあったりとか、遊戯の痕跡が見付かったりとか、結構まとめていろいろあるんだけど、やっぱりなんかまとまってないな…でもこういう途上の説を資料ごとまとめて読めるのは面白いですよね。